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水族館での告白
水族館に着いたのに、私達の間にはどんよりした何かが漂っていた。嫌だな……この空気。淀んだムードを払拭するため、私は明るい声を作ってヤミに言う。
「よーし、着いたよ。ヤミは見たいものある?私はね、クラゲが見たいの」
「…………なぜクラゲ??」
「クラゲを見てると癒やされるでしょ?ぼーっとクラゲを見て、生命の進化の歴史について思いを馳せたいのよ」
「……変わってるね……」
「あなたに言われたくないけどね……」
その後の私達は、いつもの私達に戻ったかに見えた。美しい水槽を見て楽しんで、くだらない会話をしたり、今日の夕飯をどうするかについて話したりした。
……しかし、ここで終わらせてくれるほどヤミは甘くなかった。彼はよくも悪くも『空気を読む』ということをしない。『なんとなく今言わないほうがいいかな』とか『言ったら変な感じになるかな』とかを、一切考えない。
……もしかしたら考えているのかもしれないけど、少なくとも気にはしない。
「火置さん」
「ん?」
「刑務所からここに来る直前に言ったこと、今伝えていい?」
「…………ごめん、なんだっけ……?」
「『夏休みが始まってから言うよ』って言ったことだよ。覚えてない?」
…………もちろん、覚えている。この世界に来る直前、私を抱き締めながら彼はそう言っていた。でもまさか今、いきなりその話をされるとは思っていなくて私は多少うろたえる。
「…………覚えてる。言ってたね」
「あれを覚えてるってことは、全部覚えてるんだね」
「……覚えてるよ。そう簡単に忘れられるようなことじゃないでしょ。……あれを忘れてたら驚きじゃない」
そう、忘れられるはずはない。ヤミの死刑の日、カミサマの刑務所で私達は抱き合っていたのだ。抱き合っていたというより……『目が覚めて気づいたらヤミに抱かれていた』というべきか。
刑務所脱出計画の直前に私はカミサマに捕まって眠らされていたから、なんでヤミが私を抱くことになったのか……詳しい経緯はわからない。
でも、ヤミは『カミサマに何かを提案されて』『自分で決断して』『私を抱いた』。それは間違いないみたいだった。
「忘れてるのかと思ってた。あまりにも、触れないから」
「…………勝手に抱かれてたんだよ?気軽に触れられる内容じゃないでしょ……?」
私がそう言うと、ヤミは苦しそうな顔をして「本当にごめん」と呟いた。「最悪なことをしたと思ってる」とも言った。
確かに、『最悪なこと』をされた。同意のないセックスなんだから。
でも、上手に説明できないのだけど、あの時の私達にはあれしか選択肢がなかったような気もするのだ。
だから不思議と『許せない』という感情にはならなかったし、それに何より私はあのときすでに、彼に対して少なからず好意を抱いていたと思う。
彼が私に何かを望むなら、私にできることならしてあげたいと……それなりに強く思っていた気がする。
「それはもう済んだことだからいいって。……で、何?言いたいことは」
「君のことが好きなんだ。僕とずっと一緒にいて欲しい」
さっきまでの済まなそうな様子とは打って変わって、何の躊躇も感じられない告白だった。あまりにも直球で私は面食らう。
「…………唐突、ね…………」
「我慢できなくなったんだ。君のペースを尊重しようと思ってたけど……もう無理だ」
「ちょっと待って、いきなりすぎる……!私、あなたのペースについて行けない……!」
「……それなら待つ。でも、期限を決める。いつまでもは待たない」
「待たないって……どうするつもり?」
……ヤミは黙っている。
私には嫌な考えが浮かぶ。……この世界に来てすぐの頃、彼は『君に嫌われたら死ぬかもしれない』と言っていた。この告白に『いいえ』で返したら、あなたはどうするつもり?まさか、自殺しないよね?
「ねえ、お願いだから……たとえ私がどんな答えを返そうと絶対に自殺しないって、今ここで約束して……!私はあなたのことが嫌いじゃない。でも、あなたが望む答えを出せるかはわからない……!」
っていうか、よく考えたらおかしいでしょ……。告白の返答で『断ったときに自殺しないって約束して』って……。私はとんでもない相手と対峙している気がする。
「『嫌いじゃない』って言ってもらえてる限りは死なないよ。でも、色々と我慢はできなくなるかもしれない」
「!!何言ってるの……!?」
「もちろん無理やりどうこうはしない。だから、受け入れてもらえなかったら今後は君と別の場所で暮らすか……。諦めずに君に好きになってもらうように頑張るか、どっちかだと思ってる。どっちになるかは、君からの返事をもらって僕がどう感じるかがわからないから、まだ決められない」
「ちょっと、ちょっと待って、ヤミははっきりしすぎてる!それに、何でもかんでも急すぎる……!」
「ゆっくり考えたらまとまるの?違うだろ?先延ばしにしても何にもならない答えをいつまでも待つつもりはない」
落ち着いた彼の声が、私を追い詰める。彼の声のトーンはいつもと変わらない。そのことが余計に、私の頭を混乱させるのだ。
「待って……待って、でも……!」
「……何?」
「私には……考えることが多いの……!だって私は旅をしているし、ひとところには留まれない。あなたと一緒になったって、時空の歪みは直しに行かなくちゃいけないんだよ?旅には危険もたくさんあるし、それに……」
「僕がどこまでも君についていけばいいだけの話だ」
迷いのない目。私の背筋は得体のしれない感情に粟立つ。
「っ!いや、あなたは何も分かってない……」
「君のその悩みは全部、何の根拠もない仮定から来る未来の話だ。あるかどうかも分からない未来の話。僕達はここから出られるかどうかすら定かじゃないのに、そんな妄想のたとえ話をぐるぐると考えることに何の意味があるの?」
「………………ヤミ……」
「…………」
………………怖い。この人が、怖い。
彼はただ考えたことを言っているだけだ。私を追い詰めようとして言っている訳では無い……はずだ。でも、それが一層怖い。包み隠さない裸の言葉が、こんなにも心をえぐるものだとは思わなかった。
「…………一週間……ちょうだい」
「……わかった」
「……ちゃんと答えは出すから、でもこれだけは聞きいれてほしい。この一週間は、今までと同じ感じで、過ごして。でないと私は正しい判断ができない気がする」
「善処するよ」
せっかくの水族館だったけど、この後私達は別行動をとった。すぐには切り替えられないからと、私が彼と見て回ることを拒んだからだ。
夕飯までには、元に戻りたい……。夕飯までには…………。
私は頭を抱えながら、一人で目の前の水槽を見つめる。中にはたくさんのクラゲがふわふわと漂っていた。
「お気楽そうで、いいわね……」
生命の進化に思いを馳せるつもりが、あろことか私はクラゲに対して恨み節を吐いている。
…………いっそのこと、クラゲになりたい…………。
クラゲにだってクラゲの悩みがあるかもしれないのに、私はそんなことを思う。クラゲになったらなったで、『なんで成体になったら有性生殖しなきゃいけないの。一生無性生殖でいいのに』とか文句を言ってるのかな。
…………自分を好きでいたい……。誰かを好きになる自分は、好きじゃない……。
この時の私にとっては、水槽の向こうで涼しげに泳ぐクラゲ達の方が、私なんかよりずっとずっと全てを悟った存在のように思えていたのだった。
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