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冒険したい
なんとなく彼に流される形で『完全なる夏休み』を始めてしまった。
私達は毎日、海で遊んだり、買い出しに行ったり、ただ海を眺めて会話をしたり、ウッドデッキで昼寝をしたり、本を読んでその感想を言い合ったり、ボードゲームをしたりして日々を穏やかに過ごしていた。(彼は『バックギャモン』と『将棋』が恐ろしく強く、私はまだ一度も勝てていない)
この生ぬるい日々はとても気持ちいい。ずっとここにいたいと思えるほど気持ちいい。……だから嫌だったんだ、完全なる夏休みなんて。
自分で提案を飲んでおいて「だから嫌だったんだ」なんて最低最悪の発想だけど、でもそう思ってしまうものは仕方ない。だって、ここから抜け出すのはとても難しい。こんなの『罠』みたいなものじゃない。浦島太郎の竜宮城だ。
私の毎日はいつも『死の危険』と『見たことのない景色』と『新しい魔法』の連続だったから、どんなときも生存のために頭と五感をフル回転させてきた。アンテナをビンビンに張って、アドレナリンの分泌を感じて、ファイト・オア・フライトの選択の連続で生きてきたの。
そんな毎日は平たく言ってとても疲れるものだけど、それでも私はそんな疲れる毎日が好きだった。というか、そういう生活が自分には合っていると思う。だってそうでないと私は怠けてしまう。得意じゃないことは一切したくないし、元来怠け者なのだ。
……冒険しないと、『私』が死ぬ。
そう思った私はヤミにこんな提案をした。
「今日は周囲を散策したいな。いつも行かない場所に行ってみたい」
「いいね。僕も、図書館を探したいなと思ってたんだ。小さい頃、駅の近くにある図書館に行った記憶がある」
「行きたい!」私は手を上げて答える。
「それに……記憶が定かなら、図書館の近くの岬には海が見える公園があって、近くに灯台もあったはずだ。祖父母と一緒に、灯台近くの神社にお参りにいった記憶もあるな……」
「今日は冒険の日にしよう」
うん、俄然やる気になってきた。私は動きやすい格好に着替えて地図を手に取り、ヤミと共に玄関を出る。
「まずは駅の方向へ向かおう」ヤミが言う。
「うん」
今日もいい天気。潮風が気持ちいい。この場所はどこにいたって海の匂いがする。私はあまり海とは縁のない生活を送ってきたから、毎日とても新鮮な気持ちで寝起きしていた。
「本当に素敵な場所だね。私もこんな場所で育ったら、海大好き人間に成長したかも」
「君は『海大好き人間』じゃないんだ?」
「私は……荒野とか山とかが好きなんだよね。海はそんなに大好きってわけでもなかったけど……でも、やっぱりいいね。海って理屈抜きで惹かれるものがあるわ」
私はヤミを見る。焦点を緩めて私の方を見ていた彼は、ポツリとこう言った。
「僕のイメージでは、君は海なんだ」
海?初めて言われた……。
「炎の魔道士火置さんが『海っぽい』とは、初めて言われたわ……。海って、私とは対極にある存在だと思ってた」
「そう……?君はとても、海みたいだよ」
「ものすごい褒め言葉だね!……そうだな、ヤミはね……」
ヤミのイメージ……。……うん、これしかない。ずっと思ってたことがある。
「あなたは、『月』ね」
「……月?」
「うん、ヤミは月っぽいよ。瞳が満月みたいだし、静かな雰囲気とか、でもちょっと狂気を感じる部分とか……」
「満月の日は殺人事件が増えるからね」
「……殺人犯の殺人ネタは冗談にならないからやめて」
「……すいません」彼は真顔で謝った。
「そうね、あとはこちらにずっと一定の顔を向けているところとか。光の当たり方で表情が変わって見えるけど、その本質はずっと変化しない。安定しているの」
「僕って安定しているかな?」
「あなたは……とても安定していると思う。不安定な部分があるとしたらそれは生きてきた環境によってそうなってしまっただけで、本質は『静』だと思う。私はあなたの揺れない心を尊敬しているの。私はとても、ふらつきやすいから」
そう、私はクールだとか落ち着いているだとか言われたりするけど、それは努力によって成り立っている仮初めの落ち着きだ。自分が自分であるために、必死に踏ん張って、安定して見せているだけ。そんなの、本物の落ち着きじゃない。
あなたは、ただ立っているだけで静かな空気を纏う。見ているだけで、心がスーッと静まっていく感じがする。それは一種の才能だと思う。
「……だからヤミ、自信を持って。色々大変なことがあっておかしな育ち方をしたのかもしれないけど、あなたの本質は誇れるものよ。少なくとも私は、あなたの人間性や雰囲気がとても素敵だと思うよ」
ヤミは、少し視線を下げてどうしたらいいかわからない感じだった。……ヤミも、そういう顔をするんだな。
彼は何を言われても心をざわつかせたりしないように見えていたから、私は少し意外に思う。この休みで、彼の『意外』な部分が見えてくるのかも。……今まで見ていたヤミと全然違うヤミがどんどん顔を出してきたら、どうしよう。
『今の感じ』があまりにも快適すぎるから、意外なヤミを知るのは怖い方が勝る。意外な彼が顔を出すことで、今のバランスが崩れるのは嫌だ。ずっとこのままでいられたらいいのに。変な気遣いなんてなしでなんでも喋れる、気の合う友人同士の関係。
……でもヤミは、友達のままでいいとは思っていないだろうってことは……私だって気づいている。
気づいているけど……ちょっと待ってほしい……。まだこのままでいたい……。
だって、すごく楽しくて優しくて幸せなんだもの。生ぬるい場所で、ただただ気持ちよさを満喫することなんて、今までなかった。もうちょっと、このふわふわした夢見心地を楽しんでいたいよ。
私って冒険好きのくせに、人との関係は変化してほしくないって思ってる?……勝手だな。こんな勝手な女のこと、ヤミは本当に『好き』なのかな……?
私は今まで、惚れた腫れたの感情に溺れることをあえて避けてきたように思う。恋愛感情は理性を曇らせ、適切な決断ができなくなる。少なくとも命をかけた冒険には不向きだからだ。
私が今まで避けてきたものに、向き合わなくちゃいけないときが来てしまったんだろうか。……そのとき私は、どうしたらいいんだろう。
頭の上に『タイムリミット』が見える。……決断しなくちゃ、近い内に。
そんなことを……歩きながら考えていた。
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