夏休みの夕闇~夏休み編~ 第六話 海で遊ぶ

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海で遊ぶ

昨日の『夏休みルール決め』で『週休3日で規則正しく生活する』ことを約束した僕達だけど、僕は今日の朝ご飯のあと補足のルールを提案した。それは『最初の1ヶ月は、完全に完全なる夏休みにしない?』という提案だ。

「小学生だって中学生だった高校生だって、8月はマルマル1ヶ月休むんだよ。受験生でもない限り、家で無意味にゴロゴロしたり、友達とゲームセンターに行ったり家族で旅行したりして休暇を満喫するんだ。……まあ僕はそういった夏休みを過ごしたことはないけど。それに大学生だったら、学部によっては2ヶ月くらい休みがあるんだぞ?」

「…………そんなに休みに浸かりきって、みんなよく秋から学生に戻れるわね?私ならもう学生には戻らない。自由人として生きていくわよ」

「……学生の身分では『自由人』に転職できないんだよ。法的な制限が色々とあるんだから」

「はぁ、なんて不便な世界に住んでるのかしら。みんな時空の魔道士になって自己責任で独り立ちして、各々自分の力で好きに生きていけばいいのに」

「……死ぬかもしれないけど……ってこと?」

「そうよ」例の通り肩を竦めながら、火置さんは返事をする。

「自由と引き換えに危険を選ぶよりは……学生の身分で法と大人に守られながら1年に1度の夏休みを希望に生きていく方が、多くの人にとっては結局楽だったりするんだよ。……って、話がズレたな。『最初のひと月はずっと休日にする』。このルールは飲んでくれるのか?」

「……仕方ないわね……」

「やった」僕は握りこぶしを作る。

という訳で、今日8月4日から8月31日までの僕達の予定は『完全なる夏休み』になった。時間なんて気にしない、生産性とは無縁の、純然たるただの『休み』。僕はしっかりとカレンダーに『完全なる夏休み』と書き添え、8月31日まで矢印をひっぱる。

今日の事さえ考えて生きればいい、本物の夏休み。本物の夏休みのスタートを記念して、僕達は海で遊ぶことにした。

「ヤミは、海でどうやって遊ぶの?水泳が好きなんだよね?」砂浜に座り、僕に向かって優しく微笑む火置さん。彼女は黒いシンプルな水着の上に、ダボッとした大きめのTシャツを着ていた。

……やっぱり休みにしてよかった。いつもと雰囲気の違う火置さんを前にして、僕はすでに満足している。

「うん、のんびり泳ぐのが好きだよ。こうやって浜辺で波の音をただ聞いているのも好きだ。子どもの頃は、砂浜でずっと砂遊びをしてたな。波が砂山を侵食しているのをじーっと見ているだけで楽しかった」

「わかるかも。波って不規則なのがずるいよね。さっきより大きい波が来ても妙に満足できなくて、次こそはもっとすごいのが来るはずって……ずっと待ってられちゃう。あれはなんなんだろう」

波を見つめながら、火置さんは言った。黒くて長い睫毛が、水平線の少し上を指している。

「……それはドーパミンに操られてるな。予測の差異を求める神経伝達物質。次こそは次こそはって、やめられなくなってしまうのはドーパミンのしわざだ。パチンコにハマる仕組みと同じじゃない?」

僕のこの言葉を聞いた火置さんは片眉を上げてなんとも言えない顔をした。そして……

「たとえが美しくない。やりなおし」

と、ピシャリと言った。……厳しい。

「………………生命はランダムなものに惹かれてしまうんだよ。そうやって進歩をもたらしてきたんだから。君が大きい波をずっと期待してしまうのは、ちゃんと生きている証拠だ。しかも、芸術家は特にドーパミン活性が高いらしい」

「おっ、私って芸術家?」……お気に召したようだ。

「魔法使いってどちらかというと、アーティストのイメージだな。一度魔法を見せてもらった時、それを感じたよ」

「ふふ……私もアーティストのつもりで魔法を使っているから、嬉しいかも」

「……ご満足いただけたようで……」

あるていど会話を楽しんだ僕達は、海に入っていく。波は優しく、海水は柔らかい。夏の熱気が溶け込んだぬるい海の中で、僕達はふわふわと泳ぐ。

火置さんを見る。彼女が着ているTシャツは水の中でふわりと膨らんでいて、まるでクラゲがたゆたっているようだった。

僕は海を泳ぎながら、彼女のを思い出す。彼女の中は尽きない水で満たされた海みたいだった。火置さんを思う時、僕の脳裏には海の映像が浮かぶ。

ああ、海で遊ぶんじゃなかったかな。君の中を思い出すと僕は苦しくなる。君にもっと近づきたい。いつかは近づけると信じているけど、君がいつまでたっても今の調子だったらどうしよう。

あまり未来のことは考えたくない、不安になるから。僕にとって大事なのは今だ。僕の過去には何の意味もないし、不確かな未来を願うことも意味がない。今、今が大事。今君といることが、僕にとって何よりも大事。今がずっと連続して、終わらなければいい。僕は海に潜って息を止めて今に集中する。四肢を緩めて波に転がされながら漂う。

すると海中で突然、何かが僕の右手を引っ張った。水の中で目を開ける。水性ペンで絵を描いて水にバチャンと漬けて滲ませたみたいな、判然としないシルエットの火置さんが見えた。彼女は僕の右手を握って、沖まで泳いで連れていこうとする。

……いいね、君に沖に連れて行ってもらいたい。そこからどうする?もう帰らない?それもいいかもしれない。苦しい思いをしながら別々の部屋で寝るくらいなら、夜通し同じ海の中で漂っている方が僕は幸せかも。

僕を幸せにして苦しめる君。いつかは反対のことをしてやりたい。僕と一緒にいることを後悔するくらい幸せにして、そして苦しめたい。

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