夏休みの夕闇~夏休み編~ 第二十六話 二人きりから三人へ

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二人きりから三人へ

スウェットのズボンだけを履いたヤミが1階に降りてきた。

「火置さん……遅いから心配したよ。物音がしたけど、大丈夫?」

「ヤミ……」

私は事情を説明した。

突然男の子がやってきたこと。

嵐の中一人ぼっちで震えていたから、とりあえず家に上げて今シャワーを浴びさせていること。

『リュウタ』と名乗る少年だということ。

そして、ヤミの記憶の中にいる知り合いである可能性が高いということ。

「ヤミ……リュウタっていう子……記憶にある?」

「…………記憶には……ないな……。人の名前は忘れない方だと思うんだけど」

「……そうだよね。記憶力には自信があるって、言ってたもんね……」

腕を組んで考えている様子のヤミ。そして、こう言った。

「…………それって本当に、僕の記憶の中の人なのかな」

「え」……どういうこと?この世界に侵入者が来たってこと?

「例えばカミサマが何らかの刺客を送り込んできた……そういう可能性はないの?」

「まったくのゼロだとは言い切れないけど……。でも、相当低いとは思ってる。まずここは精神世界だから、魔法の心得がない人間には見たり触れたりすることすらできない

加えて、この世界は時空の中に漂っていることをヤミに説明する。

以前も説明したが、時空の魔法を使えない人がむき出しの時空に触れてしまうと消滅の危険性が極めて高いのだ。

「なるほど……わざわざリスクを冒してこの世界に来るより……僕達が元の世界に戻ってきた瞬間を狙って仕留めるほうが無駄はなさそうだな」

「そう思うわ」

理論的には納得できたのだろう。でもヤミは、どこか釈然としない感じで難しい顔をしていた。

「……まだ何か、気になる?」

「…………いや。本人を見てみないことには、まだなんとも言えないな」

「……知り合いだったら、ここにいさせてあげることになると思う。両親や兄弟は一緒に生成されていないみたいだったから……本当に一人ぼっちみたいなのよ」

この言葉の後、ヤミは顔を少し斜めに傾けて目を細めた。その顔はあからさまに、『反対』の意を示している。

「……火置さん、わかってる?」

「何が?」

「その子が僕の記憶だとしたら、それはただの『幻』。生身の人間じゃない」

「!それは、知ってる」

少しドキッとしてしまう。ドキッとした時点で、私はすでにあの子に対して『何らかの情を湧かせている』ということなのだろう。

他の人間ならまだしも、死んだ弟と同じくらいの年の男の子……というのが、どうしても心をざわつかせるのだ。

「僕は反対だ。その子が本当に僕の記憶から生み出されたどうかを確認する術はないだろ?現に僕はその子の名前を全く覚えていない。覚えていないのにこの世界に出てくるということはあり得るの?怪しすぎないか?」

こう言って少し言葉を切った後、ヤミはハッキリと結論を述べた。

「たとえ子どもだろうと正体不明の人物をここに住まわせるのは危険だと僕は思う。だから反対だ」

ぐうの音も出ないほどの正論だった。仮に尋ねてきたのが子どもではなかったら、この家にいさせるなんて提案はしない気がする。

……小学生の男の子だから、守ってあげたいと思っている。それは……自覚していた。

俯いて黙っていると、小さな足音が聞こえた。振り向くと、リュウタがタオルを体にぐるぐると巻いて立っていた。

「服、ないの?寒い……」

「ちょっと!裸で来ないの!お風呂場から呼べばよかったのに」私はリュウタに向かって言う。自分でも困惑するほど、『お姉ちゃん』な声が出た。

「だって……」

リュウタの頭からは、ホカホカと湯気が立ち上っていた。まだ小さな肩は、ピカピカ光っているように見える。子どもの肌のきめ細かさに、私は心を奪われる。

「ヤミ、子供用の服はない?」

「…………僕が子どもの時に使っていた服は残っていると思うよ」どこからどう見ても『歓迎していない』顔で答えた後、ヤミは二階に服を取りに行った。

ヤミとリュウタが同じ空間にいると、ひどく居心地が悪い。ヤミには申し訳ないけれど、彼が一瞬でもこの場からなくなったことに安堵する。

リュウタを見る。リュウタは零れ落ちそうな黒目を不安そうに潤ませて、こちらを見ていた。

「オレ……これからどうしよう……」

「……心配しなくていいよ。少し、ここにいなさい。そのうちお母さんとお姉ちゃんが見つかるよ」

つい言ってしまった。『ここにいていいよ』って。

ヤミは怒るだろうか。いや、呆れるかな。ヤミのことだから、君がそこまで言うなら……と同意してくれそうな気はする。
でも、もちろんいい気はしないだろうし、そもそも本当にこの子が安全な存在なのかもわからない。自分の判断がここまで曇るのも、珍しい。

「……ありがとう……」

両手に小さな握り拳をつくり、俯いて答えるリュウタ。くろぐろとした長いまつ毛と子供らしい赤いほっぺたは、『守らなくては』と思わせるのに十分な引力を有していた。

いじらしいその姿を見て、私は思う。判断が曇るのも……仕方ないじゃない。

この気持ちは、私の中にほんの僅かに残された……『血のつながった家族』への愛情だ。それは私が人間であることの、かろうじての証な気もしてくる。

私は肉親への情が極端に少なかった。弟への愛まで忘れてしまったら、ホンモノの冷血人間になってしまう。

そうこうするうちに、ヤミが2階から戻ってきた。彼の手には子供用の部屋着が握られている。

「はい、どうぞ」ヤミはリュウタに服を手渡した。そして「脱衣所で着替えておいで」と言った。ヤミは大人だな。その声は、普段と同じ穏やかな声だった。

「……聞こえちゃったよ。ここに住まわせるんだって?」リュウタの姿が見えなくなってから、ヤミが言う。

「……勝手にごめん……」

はぁ、と小さくため息を付いたヤミ。しょうがないか、もうあの子に言っちゃったしな……とだけ言った後は、それ以上私を責めるようなことは言わなかった。

その夜のこと。

ベッドの上で、ヤミは私を見ていた。暗くなった部屋の中で、ヤミの瞳は満月みたいに妖しく輝いている。

私はその目に見つめられるのが好きだ。自分が狂っていくのがわかって、彼のペースに飲まれていくのが気持ちいいから。

怖いのに、見て欲しくなる。矛盾するこの思いは、一体何なんだろう。

「ねえ、火置さん」

「……なに?」熱に浮かされるように、答える。彼の瞳に釘付けになって、他のものが見えない。

「約束してほしいことがある」

彼の右手が、私の左頬に添えられる。なんだろう。何を約束すればいい?私、なんだって約束する。

「あの子がいたって、二人の時間は絶対にとって。寝るときはこの部屋に鍵をかけて二人で寝る。……わかった?」

「……わかった……」彼の瞳から目を離せないままで、私は答える。彼の声はとても優しいけど、私はヤミには逆らえない。逆らう気もない。逆らってみたところで私達の関係が変化するわけでもないと思うけど、それでも逆らわないと決めている。

「僕は、たとえこの扉がノックされようが、途中でやめたりしないから。10歳の子どもなら、ある程度のことはすべて自分でできる。怖い夢を見ようが、自分で夜を越せる。僕はそうしてきた」

そうか、ヤミはずっと、一人で夜を越えてきたんだな。

幼い彼を思う。一人ぼっちで震えながら朝を待つヤミ。本当はお母さんに助けを求めたかったのかもしれない。でも、血のつながった家族だという理由だけで、人を正しく愛せるとは限らないよね。
あなたの過去に戻って、私が幼いあなたを抱きしめてあげたい。

「もう、あなたを一人にはさせない」私は彼に言う。

一人ぼっちのあなたと一人ぼっちの私。あなたがあなただということ以上に、あなたを愛する理由があるだろうか?

この後で、彼はいつも以上にしつこく私のことを抱いた。私が声を抑える素振りを見せると、わざと私の弱いところを突いて声を出させた。かと思ったら口を手で抑えて『聞こえちゃうよ?』って耳元で囁いたりした。

ああ、私はやっぱり、冷血人間だったな。灰谷ヤミ以外は誰一人愛せない、冷血人間。このときの私の頭からはリュウタのこともリュウのことも完全に消え去って、ただただヤミを感じることしかできなくなっていたのだから。

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