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第二章 8月の後半
第三章 9月から10月
第四章 11月
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夕闇の時刻のあとで
僕達はベッドの上で抱き合ってぼーっとしていた。窓の外は夜闇。かけ始めた月の明かりが、仄かに室内を照らす。
僕達がこの部屋に来てから、どのくらいの時間がたったのだろう。僕は体を起こして時計を確認することすらできずに、ただただベッドに体を横たえて彼女を抱きしめていた。
僕は、放心状態に近かった。だってまさか、彼女から僕を求めてくれるとは思わなくて。
告白の返事をするのに『一週間待って』と言われていたし……火置さんのことだから、ギリギリまで粘るんじゃないかなと思っていた。
さらに言えば、たとえOKしてくれたとしても、関係を進めるのは相当ゆっくりになるだろうと考えていた。それが……。
「…………」
僕は、胸の中にすっぽりと収まる彼女を見る。こんなに近くに、火置さんがいる。身に余る幸せは、現実感をなくす。さっきまでのことが、遠い幻のようにも思える。
これは幻想なんかじゃないんだと実感するために、僕は彼女を改めて抱き寄せた。
「……ん、ヤミ……」
「ごめん、寝てた……?」
「いや、起きてたよ。……ぼーっとしてた……」
「…………火置さん……」
「ん…………」
僕はもう一度、彼女を抱きしめる。どうしてこんなに小さいんだろう。自分より小さいというだけで、胸が締め付けられるように苦しくなるのはどうしてだろう。
彼女を抱きしめてじっとしていたら、火置さんが顔を上げて僕を見た。宇宙を思わせる瞳の中に、僕が映っている。
「ヤミ」
「……なに」
「私、あなたと一緒にいる」
「…………後悔することになっても?僕はしつこいよ」
「あははっ、そうだろうね。それは実感してるわ」
「しつこい上に、度を越した知りたがりだよ。さらに言うと、僕は殺人犯だよ」
「全部知ってる」彼女はそう言った後、顎に人差し指を置いて少し考えてから尋ねた。「でも知りたがりって、具体的にどういうこと?『ほくろの数を把握する』みたいな?」
「それは基本中の基本だ」
「ふふ……基本なんだ……それじゃあ、応用は?」
「交友関係は全部把握していたい。君に影響を与えた人間や環境の情報も、全部知っていたい」
「確かに『度を越した』知りたがりだ」
「当然だけど、元カレの情報も全部知っていたい。年齢、性別、身長体重を含めた見た目、性格、どんな部分に惹かれていたか、どんな部分に不満があったか、出会いと別れ、どうやって抱き合っていたかまで」
「………………想像以上ね……」ロダンの『考える人』バリの難しい顔を作って……彼女は言った。
「……君は絶対に後悔する。こんな人間と一緒になるんじゃなかったって」
「…………一緒にいてくれとか言ったくせに、一緒にいるべきじゃないって言うの?変な人」
「僕と一緒にいたいっていう人間なんて、この世界には存在しないんだよ」
「よかったね、一人できて。……二人三人できても困るけど」
「…………君のこと、わかったつもりだったけどまたわからなくなった。君は猫みたいだ」火置さんの額に自分の額をあわせて、僕は言う。
「……どこが」
「水族館の日までは、君は僕の『押し』に動揺してるように見えた。でも今は、どう考えても余裕たっぷりだ。むしろ僕に余裕がない。……君は案外経験豊富だったのかな」
「……嫌な言い方ね『経験豊富』って……そんなことないわよ」火置さんはむっとした様子だった。
「…………僕は……」
僕は……幸せなはずなのに……自信がないのかもしれない。
世界を救う彼女がなぜ僕を選ぶのか。本当に僕でいいのか。今更だけど、不安になっているのかもしれない。……自分から告白までしておきながら、今更。
「ヤミ」
すると火置さんが、真剣な眼差しでこちらを見た。瞳の宇宙がキラキラと輝く。
「私が、あなたを選んだ理由を教えてあげる」
「…………なんだろう」
「二つあるの。一つは、あなたの性質に惹かれている。シンプルに言えば『素直』で『想像力がある』ところに」
素直……。確かに彼女はよく言っていたな、僕のことを素直だとか正直だとかって。……その部分をそこまで気に入ってくれていたとは、知らなかった。
「そしてもう一つは、私達はお互いに似ている部分がある気がすること」
…………似ている?火置さんと、僕が?
「……何ていうんだろう。人生において何を大切に思うか……っていうのが、似ている気がするの。だから……私はあなたと話すのが本当に楽しい。話しているだけで自分が認められている気がして、『生きている』気がする。意見自体は違っても、その奥では理解できる気がするの」
「『殺人犯の死刑囚』と『世界を救う時空の魔道士』の、人生観が似ている?」
「そう」
……正直に言うと、彼女のこの話はピンとこなかった。僕は、火置さんとはあらゆる部分で正反対だと思っていたから。
今までの彼女との会話を思い返しながら何がどう似ているんだろうと思案していたら、ふと思いついたように火置さんが再度口を開いた。
「……あ、そうだ、もう一つ好きなところがあった」
「ん?」
「……私、あなたの雰囲気も……好き。静かで柔らかで、心が落ち着く。何ていうか……男男してない感じが、ホッとするの」
「………………火置さん、それ………」
「?」
「…………褒めてないよ……」僕はため息をつきながらガッカリする。
「えっ!?……ごめん……」僕の様子を見て、火置さんは驚いていた。……本当に、僕のことを何だと思ってるんだろう。火置さんは僕の保護者気分なんだろうか。
「全然嬉しくはないけど……でも『男男してない』ことで君に選ばれたのなら、その性質には喜ぶべきなのかな……」
「ご、ごめん……そんなに落ち込まないでよ……」本気で慌てた様子で、火置さんは必死にフォローしている。そんな彼女に、僕は宣言する。
「……見ててよ、いつかびっくりさせるから」
「……へえ、期待してる」受けて立つ、と言わんばかりの目をする彼女。
「余裕ぶってられるのも今のうちだよ」
「さぁ、どうだか……?」ニヤッと笑う彼女は、なんだか自信に満ちていた。
……そんな火置さんを見て改めて思う。やっぱり僕は彼女を驚かせるほど男らしくなることなんてできないかもしれないなぁ、と。
僕は相手をグイグイ引っ張って行けるようなタイプでもなければ、力自慢で女の子を守れるタイプでもない。そんな僕の性質を『いい』って言ってくれるんだから、それをありがたく思って下手なことをしないほうが……いいのかもしれない。ちょっと悲しいけど。
これからもずっと僕が彼女に翻弄されて、振り回されっぱなしなのかな。頼りない僕を彼女がいつだって守ってくれて、僕は微力ながらも彼女の精神的なサポートをする……そういう構図が一生続くのかもしれないな。
「……いつか愛想をつかされそうだな……気をつけよう」
「バカな心配してないで、頑張ってね。男らしい灰谷くんを期待してるから」
「…………うん、期待してて」
やっぱり無理そう、と言いたいところを頑張って強がったのに、間髪入れずに彼女はこう返答した。
「……とは言ってみたけど、全部嘘だから。全然期待してないし、そういうのいらないから」
「えっ!?」
「あなたはあなたのままでいてよ。変にカッコつけないでね」
「…………」
すでに僕は彼女に翻弄されている。先が思いやられるなぁと、僕の神様も僕を心配しているかもしれない。
「悔しいな……」釈然としない思いで彼女に体を寄せる。火置さんはそんな僕をふわりと抱きしめて、頭を撫でる。
悔しいのに、僕は眠くなる。保護者気分でいられたら嫌だってさっき思ったはずなのに、妙に懐かしい気分になって癒やされる。
春の空気みたいな桃色の霞がかかったまどろみの中で、僕は夢を見る。
夢の中でも僕は、火置さんとくっついていた。文字通り、物理的に、本当に、真の意味でくっついていた。二人の体はつながった部分と接した部分で溶け合って、どっちがどっちの皮膚だかわからないような状態になっていた。
ああ、僕が望んでいるのは、こういう状態だ。
僕は思う。これを目指すには、どうしたらいいのかな。考えても考えてもゴールにはたどり着けなさそうで、宇宙に一人放り出されたようなどうしようもない絶望が襲ってくる。
血の気が引くような恐怖で目が覚めて、僕はまた彼女に抱きつく。眠りに落ちる直前にふと「やっぱり僕は全然男らしくないな……」と思う。そしてまた、同じ夢を見る。
やがて夜が明けるまで、僕は何度もそれを繰り返していた。
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