夏休みの夕闇~夏休み編~ 第十三話 夕闇の時刻の直前

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夕闇の時刻の直前

水族館デート(結局デートらしいことは何もできなかったけど)で僕が彼女に告白してから3日が経った。

『一週間ちょうだい』

火置さんは僕にそう言った。一週間も返答を延ばして何がどう変わるのかと問いたかったけど、僕は黙って彼女に任せることにした。僕と今後も一緒にいるかどうか、それを決めるのは僕ではなく彼女だ。

返事をするまでの一週間について、彼女はこうも言っていた。

『この一週間は、今までと同じ感じで、過ごして』

だから僕は、彼女に言われた通り『今までの僕』に徹し続けている。

昨日は一緒に図書館で本を読んで、その後公園のベンチで海を見ながらかもめの数を数えた。

その前は駅で彼女のピアノを聴いて(最寄り駅には『駅ピアノ』が置かれていて、誰でも自由にピアノが弾けるようになっている)、その後一緒にドラッグストアで買い物をした。

こういう日々は、間違いなく幸せだし安らかだ。でも、これだけじゃ僕は満足できない。だって『いつもの君』は、刑務所内で十分見てきたからだ。

僕が知りたいのは、『プライベートな火置さん』。普段見せない顔とか、普段聞けない声とか、普段は見せない心の中とかを知りたい。彼女は秘密主義だから、自分の内側を常にひた隠している。

水族館から帰って3日目の今日は、お互い別行動の日にした。

僕も彼女も本来は一人でいるのが好きなタイプだから、たまにはこういう時間も作らないと息苦しくなってしまうかもしれない。
……ただし僕に関しては、今のところ『火置さんと一緒にいたい』としか思えないけど。

一人でいるのに飽きた僕は、彼女を探しに出かけることにする。彼女は今日ずっと外出していて、朝ご飯以来一度も顔を合わせていない。

……彼女に会いたい。こんなに近くにいるのに、毎日会っているのに、僕は君が視界に入らないと不安で仕方がない。そう、不安なんだ。僕を安心させてくれ。君に安心させてもらいたい。

自分ルールで人を殺すようなどうしようもない僕だけど、君を思う気持ちなら誰にも負けないって誓える。君は誰かから、こんなに強く求められたことがある?

僕は彼女の行きそうな場所に向かう。この時間なら……岬の公園か。

彼女は風が吹く高い場所が好きだと言っていた。鳥になりたいと言っていた。岬で目を瞑ると、鳥になった気分になれるのだと。

夕刻の時間の海が好きだと言っていた。明日が本当に来るのかわからなくて切なくなるからって。

僕は君の言葉を全部覚えてる。記憶力には、自信があるんだ。

……ほら、思った通り、ここにいた。

岬の先端の柵を越えて……今にも海に飛び込めそうな先端ギリギリに立って、君はを歌ってる。オフホワイトのワンピースの裾が風にはためく。本当に鳥になって飛んでいってしまいそうに見える。

僕はまぶたを下ろして、その歌声に耳をすませる。

岬を飛ぶ風の鳥
空と海の境界線
明日が来るかはわからないけど
私はいつでもここにいる あなたと約束したこの場所
雲の上に溜まった光
鳥が突き抜けた穴からこぼれだす

キラ、キラ、キラ

気持ちは透明、私は私、あなたは遠い、伝わればいいのに

あなたの隣、私の眠る場所
あなたの隣、私の眠る場所

「……きれいな声だね」

僕の声に反応して火置さんがゆっくりと振り向く。黒いまつげの頂点に、傾いた陽の光が射す。瞳が一層透明になって、その奥までが全部見える気がする。

「いつからいたの」

「……その歌を歌い始めたところからかな」

「思いっきり歌ってるところを聴かれてたのね?恥ずかしいじゃない」

小首をかしげて君は言う。斜めからの太陽は、君の顔のあちこちに闇を作る。

「気にしなくていいよ。素敵だった。火置さんって、歌上手いんだね」

「……ありがとう。でもね、誰かが思いっきり歌っている姿を見かけちゃったら、普通は声をかけずにそっと去るのよ。びっくりして崖から飛び降りちゃったらどうするの」

そう言って火置さんは肩を竦めた。いつもの君がいる。でも不思議と、その瞳はいつもより濡れている。

「そしたら後を追って僕も飛び降りるよ」

「あなたは冗談で言ってないから怖い」

微笑んでるような、悲しんでるような、曖昧な顔をする火置さん。君は今何を思ってるの?知りたい知りたい知りたいよ。僕、君のことが知りたくて知りたくてたまらないんだ。

すると彼女は、柵を乗り越えて僕の方へ近づいて来た。あの日を思い出す。君が僕に脱獄を提案してくれた日の夜のこと。

あの時の君の瞳が、ずっと頭から離れない。いつもは厳しい目をしていた君が初めて見せた、湿度の高い潤んだ目。今日の君は、あの時と同じ目をしている。

彼女は僕の目の前までやってきた。そして、何もかも見透かしたような透明な瞳で僕を見た。僕からは言葉が消え失せる。

「帰ろう」

そう言って火置さんは、僕の手を取る。僕はただ君に手を引かれ、夕暮れのオレンジに染まった道を家まで歩く。

日が傾いて海の色が変わっていく。ほどなく夕闇の時間が訪れる。僕達が最初に出会った時刻。僕はこれからも、夏の夕闇を見るたびに君に出会った時のことを思い出すだろう。

日が沈まないうちに、僕達は家へと帰って来る。彼女は何も喋らない。ただ優しく僕の方を見て、玄関に上がってからまた僕の手を取った。そして、階段を上っていく。

次のエピソード


※脱獄提案をした夜の話

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