夏休みの夕闇~夏休み編~ 第三十一話 部屋に残された二人の密かな話

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部屋に残された二人の密かな話

「お前が手に入れておきたいって思うのも、何となくはわかるかも。まあ、俺の好みではないけどな!」

聞き間違い……か?リュウタの声が、いつもと違う。子どもとは思えない、毒と悪意を含んだ声。心なしかいつもの声より低いようにも思える。

「さ、俺、だーれだ!ははっ!覚えてないだろ?お前の記憶、消しちゃったから!」

……記憶を消した?どういうことだ……?

でも、覚えていないけど、覚えている気がする。どす黒い感情は、心の底にこびりついて残ってる。肺の中に味のしなくなったベトベトのガムを一個一個つめていくような、息が詰まりそうな、黒い感情。『僕はこいつを知っている』。

「仕方ないよ!だって俺はお前の記憶の一部。それをボコッと取り外して無理やり外に出したようなもんだから……お前に俺の記憶はキレイサッパリ残ってないんだ」

「……言っていることが理解できない……やっぱり君は僕の記憶にあった存在だということ?」

「だって、あの女もそう言ってただろ?『この世界はお前の記憶をベースにした世界』。つまり、そういうことだよ。……でもまあ、それは今はいいんだ。それよりさ……」そう言ってこちらを見てにやりと気味の悪い笑みを浮かべた『リュウタ』。

「お前、俺が来てから毎日相当イライラしてるだろ?どう?」

目の前にいる少年は、両方の口角を不自然なほどつり上げて僕に問いかける。

「……してるね。そうか、イライラしてるって知っててわざとやってたんだ。そりゃあ、毎日欠かさずにイライラするわけだ。だってイライラさせようと思ってイライラさせられてるんだからな。つまり僕の心がものすごく狭いってわけじゃなかったんだ」

「いや、心は狭いんじゃね!?だってお前、相手が俺じゃなくて自分の子どもだったとしても同じように邪険にしそうだし!」

僕は少し目を細めて彼を睨む。……この間、夜中にリュウタが大泣きしていたとき、火置さんにも同じようなことを言われたっけ。

『…………本物の子どもだったら……ヤミはどうしてた……?』

……どうだろうな。本物の子どもだったら、ましてや……自分の子どもだったら……。僕はどんな対応をするだろう?……いや、何を考えてるんだ?真面目に考えれば考えるだけ、やつの思う壺だ。やつは僕を『イライラさせようと』しているんだから……。

「………………僕に子どもはいらないよ。親に向いてないから。だからそんなこと考える必要がないな」

「気が合うな!俺だって、子どもを作る人間の気持ちはこれっぽっちもわからない。ちょーっと頭を働かせれば、軽率に子どもを作ったことで、どれだけ無駄でつまらない人生にレールを切り替えられちまうかっていうのがわかるのにな?」

そう言いながら目の前の子どもは、邪悪な表情で舌を出した。気味悪いくらい艶めいた黒い髪と瞳を見ていると、『悪魔』という言葉がしっくりくる気がしてくる。

「にしても、俺の純真無垢で絶妙に生意気でリアル子どもっぽい『弟演技』すごいだろ!お前のおかげだよ!お前の記憶があるから、あの女の心に入り込む方法がなんだってわかる。
火置ユウがどんなものに弱いか、どんなものに惹かれるか、どんな自分が好きか、どんな自分が嫌いか……」

「そんなに簡単に彼女のことがわかるか……?」

「いや、わかるよ。あの女は自分の弟を助けられなかったことを後悔している、自律していて困っている誰かを守れる強い自分が好きで、他人の庇護下に置かれる弱い自分は嫌い……」

悔しいが、自分の認識とピタリと合致していた。これは、こいつが僕の記憶を覗いたからなのか?

「多分あの女は俺にメロメロだぜ?もうお前と半々くらいにはなってるよ?」妙に爽やかな笑顔でここまで喋ったあと、憎らしいほど余裕たっぷりに……僕に言い聞かせるように言う。

「覚えておいたほうがいい。姉っていう生き物は、弟には無条件に弱いもんなんだよ。『弟を愛さなくてはいけない』って、魂に刻まれてるんだ。母親は息子を偏愛する、姉は弟を溺愛する、父親と息子は魂レベルでいがみ合う……。

だから『弟』って生き物は、自分が女に無条件に愛される生き物なんだってことをよーく知ってる。だって、女に愛されることが生存戦略なんだからな!」そしてやつは「こういうことを学習できない一人っ子さん、残念でした!」と余計な一言を付け加えた。

「……本当に頭にくるやつだな」僕は素直な感想を述べる。

「苦しいだろ?求めた相手がちょっとずつ別のものに心を奪われていく感覚……。しかも、それには無下にできない理由がある。ただの浮気や一目惚れとはわけが違うんだ。

『姉』という生き物である彼女には、『弟』という俺を愛さなければならない理由がある。……しかも彼女は弟を亡くした過去がある。彼女の人生の根幹を問う問題だ」

「……このことを火置さんに相談するよ。それで、お前をどうするか決める。……というか、僕は素直に『追い出したいと思ってる』って言うよ」

「やってみれば?……でもお前の言う事、信じてくれるかな?」

「すごい自信だね……」

「かけてみてもいい!お前の言う事なんて信じないさ!最近の彼女は多分、お前のことちょっと鬱陶しくなってるよ。もともと、行動を制限されるのが嫌いなタイプだろ、あの女」

「僕は彼女の行動を制限してないし、するつもりもない。でも、全部教えてもらうようにはしてる。ただ知りたいだけだ、僕は」

こういうと『リュウタ』は、グジャリと表情を歪めて僕を睨んだ。そしてこう言った。

「きーも。まじできーもいよお前。ほんっとキモい。生理的に無理だ。やってることがメンヘラ女と一緒だよ。っていうか、お前がキモいのもそうだけどあの女も悪魔級に見る目がないよな?よって二人ともキモい」

…………僕はいいけど、火置さんを悪く言うなよ。

にしても、こいつは誰だ……?脳みその一番奥まで神経を行き渡らせようとしても、何も浮かんでこない。
こんなことって、あるのか?こんな、邪悪を絵に描いたような一度あったら忘れたくても忘れられないような男を、綺麗さっぱり忘れ去ることができるだろうか?

「クソ……思い出せない、どうしても……お前の、正体が……」

頑張れよと笑った後、やつはいきなり顔の電源を全部落としたように無表情になった。そして、心の芯まで凍りつきそうな顔のまま僕に言った。

「足掻けば足掻くほど、沼にハマっていく。沈めば沈むほど、地獄に近くなっていく。でも地獄には来させない。だって地獄には俺がいるからだ。俺はお前と同じ場所にはいたくない。

地獄の手前で、ネバネバの沼水吸い込んでただ溺れて苦しんでろ。俺はお前が大嫌いだ。正直言って、見たくもない。俺はただお前に、不幸になってほしいだけなんだよ。それ以外で、だれが好んでお前と一緒の空間にいるっていうんだよ」

長い長い呪いの言葉を一度も噛まずに言い切った『リュウタ』は、カチッとスイッチを切り替えたかのようにいつもの子どもらしい顔に戻った。そして、パチンと指を鳴らす。

………………あれ、僕、どうしたんだ……?

不自然に頭がぼーっとしている。僕は目の前の子どもを見た。リュウタは僕のことをじっと見ている。……さっきまで彼と何かを話していた気がするけど……。

「俺、お前といてもつまんねーよ!外で遊んでくる」

リュウタはサッカーボールを抱えて外に出ていった。記憶がプツリと切れてしまって途方にくれる僕を、この家に残して。

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