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第二章 8月の後半
第三章 9月から10月
第四章 11月
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三人の喧嘩
朝4時に、火置さんはルーティーンのストレッチと精神統一をこなしに外に出ていった。
いつもはそこから1時間くらい筋トレをしたり魔法の修練をしたりして帰ってこない彼女だけど、今日は30分そこそこで戻ってきて、そのままベッドに潜り込んでくうくうと寝てしまった。
……昨日、ほとんど寝られていないだろうからな。今日は起こさないでおこう。
「僕は彼女を……どうしたらよかったんだろう」虚空にむかって呟く。
僕の神様が、答えをこっそり教えてくれればいいのに。昨日の夜、彼女をあの子のところに行かせてあげた方がよかったんですか?神様、教えて。
昨日もあの夢を見た。正直、そろそろ限界だ。これは、僕の頭がオカシイからこんな夢を見てしまうのか?それともやはりあいつには何らかの邪悪な目的があって、それを示しているのか?
夢を現実と混同するなんてどうかしていると思うけど、ここまで連続で同じ夢を見るのは異常だと思う。それに、僕が飛び起きるのと同じタイミングであの子が姉を……まるで火置さんを呼ぶかのように泣き叫びだすなんて……。
僕は天井を見上げながら目を瞑る。じっと体の内側に耳をすませていると、自分の心の奥が見えてくる気がする。
なんだろうこれは。黒くてもやもやしたものが見える。もしかしてこれが、『憎しみ』?
……あいつが来てから、散々だ。早く、いなくなれよ。僕達の世界から、出ていけ。
僕は明確に、あの子どもを憎む。人を憎む。そういえば、今まであまり人を憎んだことはなかった。何を言われても、無視されても、蔑んだ態度を取られても、『しょうがないかな』で済ませていたし、別にそれ以上何も思わなかった。
そうか、憎しみってこういう感情なんだ。
僕は、この時に生まれて初めてはっきりと、憎悪という感情を自覚したのだった。
4時間くらいは寝ていただろうか。すっかり太陽が天高く昇り、家の中は温かな陽の光で満たされる。
昨日あれだけ泣き叫んでいたリュウタは朝食の時にはケロッとしていて、泣いていたことすら忘れているようだった。
「ねえちゃん、今日一緒に遊ぼうよ!この前向こうの浜ですげー洞窟見つけたんだ!一緒に探検しようぜ!」
火置さんは「私、今日は家でやりたいことがあるの。一人で遊んでなさい。探検はまた今度ね」と断った。
火置さんは『子どもに頼まれたから仕方なく……』みたいなどうしようもない理由で『平日』を子どもとの遊びに当てるような人間ではない。自分で『やる』と決めたことがあれば、誰の誘いも断ってやり通すはず……僕は自分の『火置さん予想』が間違っていなかったことを知ってホッとする。
ちぇ!と言いながら、彼はパタパタと玄関を出ていった。なんだか、明るい時間帯に二人きりで家にいるのが久しぶりな気がする。火置さんは平日の昼はだいたい図書館に行っているし、ここ最近の休日はリュウタがいる。
僕は火置さんにそっと近づき、体を寄せた。
火置さんは僕に気がついて顔を上に向ける。そして小さな声で、ヤミ、寝られた?と聞いた。僕は、君がいてくれたからあのあとよく寝られたよと答える。君は瞳を潤ませて、それならよかった……と言った。
僕は……君が欲しくなった。君は誰のもの?あの子のものじゃない。僕は間違ってないってことを、君に確認したくなった。子どもの誘いは断った君だけど、僕の誘いにはどう反応する?
「……最近、寂しかった。あの子が来てから、火置さんあんまり構ってくれなくなったしさ……」
「え?そうかな……?」火置さんは目を丸くする。
「そうだよ。気づいていなかった?……前より一緒にいる時間が減ったね。抱き合う回数と時間も、減った」
「……もともと、多すぎたと思うよ?毎日2回は多い。3回のときもあった。……今だって、1日1回はしてるじゃない」
「……でも、あの子が1階にいるからって最近あんまり集中できてないだろ?反応が違う。そのくらいわかるよ」
僕は火置さんの背中に腕を回し、自分の方へと抱き寄せる。
「それは……仕方ないじゃない……」ちょっと困惑した表情の君が見える。あ、欲しい。君がほしい。ほしいほしい。
「……ね……ちょうどあの子が出かけたことだし……今、したい」
「!?だって、今日は平日だし、私……」
「…………『臨機応変』って言葉、知らない?」
「知ってる……知ってるし、好きな言葉よ……」
「それじゃあ、今がその時だよ。久しぶりに声が……聞きたい。火置さんの、我を忘れたおっきい声。……考えるだけでドキドキしてくる……。今は声、抑えないで」
僕は自分の体を彼女に押し付けて、後頭部を支えてキスをする。
「ヤミっ!……ん……」
ガチャッ、
最悪な音が聞こえた。気の所為だと思いたかったけど気の所為じゃなかった。玄関扉が開き「わすれものー」という呑気な声と共にリュウタが戻ってきたのだ。
キスしている僕達に気づいた彼は、ショックを受けた顔をしてこう言った。
「……おいっ……オマエ何してんだよ……!」
……早く出て行けってば……見て分かるだろ……。僕はキスをやめなかった。火置さんが目を見開いて僕の胸をトントンと叩く。……嫌?なんで?関係ないって。他人の子どもだよ?しかも実体ですらない、僕の記憶が生み出した幻だよ?もう、いいよ。続けようよ。
「おいっっ!!何してんだって!!」子どもは僕の服の裾を引っ張って無理やりにでも止めようとした。
そこまでされるとキスが続けられないから、ゆっくりと彼女から唇を離す。僕は彼に言う。
「……何って……キスだけど?キスって知らないか?」そして彼を見下ろし、感情を限界まで抑えた極めて優しい声を作りこう告げる。「子どもは外で遊んでおいで。……あと2時間位は帰ってこないでね」
「ちょっと……!ヤミ!」火置さんが『理解できない』という顔で僕を見る。その様子を見たリュウタが「おいっ!お前、やめろよ!ねえちゃん嫌がってるだろ!」と僕たちの体を引き剥がそうとする。
僕は大きめのため息を一つついて、子どもを諭した。
「彼女は君の『お姉ちゃん』じゃないぞ?君のお姉ちゃんは別にいるんだろ?」
「そういう意味じゃねーよ!とにかく、嫌がってるだろ!やめろ!」
「嫌がってるかな?ちょっとまだ人生経験が足りてないかもしれない。もう少し大きくなったら、分かるよ」
「いや、どう見てもねえちゃん困ってるだろ。お前の方がわかってない!よく見てみろよっ」そう言った子どもは火置さんの顔を指さす。「困ってるねえちゃんを嫌がってないって言い張るなんて、お前、ねえちゃんのこと何だと思ってんだよ……!?!?サイテーだな!」
確かに……火置さんの顔はどこからどう見ても困っていた。その上ちょっと怒っているとも捉えられる表情をしていた。
僕は片目だけを細め、子どもを睨んだ。そのときだった。
「ねえ、二人とも」
温度の低い、強いアルトの声が……玄関に響いた。僕と彼は少しびっくりして、声がした方を向いた。その先には、静かな怒りで瞳を燃やす火置さんがいる。
「二人とも……『私がどう思ってるか』を勝手に決めないで。想像するのは勝手だけど、私の目の前で勝手に決めないで。二人とも間違ってる。正確ではないわ」
そう言うと火置さんは「やることがあるから」と、キビキビと身支度を整え出ていった。僕達男二人は……唖然とした顔で彼女を目で追うことしかできなかった。
カチャリ……パタン。
彼女の姿が消え、玄関扉が閉まる。僕と子どもだけが……家に取り残される。
静寂に支配された玄関。……もう、何もかもうまくいかないな……。僕は今すぐふて寝したい気分になっていた。その時だった。
「…………へー、かーっこいいじゃん」
聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、聞き慣れない声が僕の耳に入ってきた。
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