運命の女神の悪夢
夏休み始まって9日目くらいに、彼が見た夢の話。
「…………君は……誰?」
光り輝く黄金の女神がいた。朝日を照らす湖のようにキラキラした金糸の髪、白磁の肌、滑らかな輪郭、薔薇色の頬……。
「私?私は運命の女神。あなたとずっとずっと、共に生きてきました」
「運命……?どういうこと…………?」
「私はあなたの運命を導いてきました。『カミサマ』によってあなたの運命は悲劇の方向へ歪められましたね?
でも私は必死に、あなたが死なないように、運命を死から遠ざけてきました。あなたが死なずに生きてきたのは、私のおかげなのですよ」
僕が悲劇の中にいても死ななかったのは、この女神のおかげ……?
「…………はは、感謝、してるよ……」
僕は力なくお礼を言う。
もちろん、本心では逆のことを思っている。……そんな余計なことをしなくても良かったのに。早めに死ねたらもっと楽だった。生きれば生きるほど死ぬのがおっくうになるし、『死ぬほどつらい悲劇』を経験する回数が増えていく。僕は『悲劇的な人生』だから。
「そんなあなたに今日は、あなたの望むものを持ってきました。はい、コレです」
女神はおもむろに、両腕を差し出す。その腕の中には、だらんとした火置さんが抱かれていた。
「え……これは…………どういう事?」
「『どういう事』?私はあなたの望むご褒美を用意したんです。悲劇の中頑張ってきたあなたへのご褒美です。それが、コレです」
…………『コレ』?僕の運命の女神が、『火置さん』を用意してくれたってこと?
……でも、この火置さん……
「……生きてる?」
「………………生きてますよ?」
「何だか、動きそうもないように見えるけど」
「動いたほうが良かったですか?」
「…………当たり前だろ?何を言ってるの?」
「どうして当たり前なのですか?コレは確かに火置ユウです。あなたが心から望むものも火置ユウです。同じものでしょう?」
「…………」
僕は理解する。
この運命の女神は、全然繊細じゃない。僕の気持ちなんてお構いなしなんだな。
……確かに僕は火置さんがほしいし……そうだな、たとえ死体だろうとほしいけど……でも、そういうんじゃないんだよ。どうしてそれを分かってくれないの?
「……せっかく用意してくれたところ悪いんだけど……僕は、火置さんと話したいし火置さんに愛されたい。動かない火置さんだったら、そのどれも叶わないじゃないか」
「……では、動かしてあげましょう。あなたのために。目をつぶっていてください」
「…………」
僕は言われるまま目を瞑る。僕が何を言っても、この女神は聞いてくれない気がしたから。
それに、たとえ聞いてくれたとしても僕の意図を完全に汲み取ってくれることは、この先も永遠にない気がした。
それでも言うことを聞くしかないんだ。だって、ご褒美をくれるから。
僕はこの女神の言う通りに生きていれば、悲劇の中でも死ぬこともなく生きていける。たまに、こうやってご褒美をもらいながら……死ぬまで、ずっと。
「…………はい、どうぞ。目を開けてください」
僕は瞼を上げる。すると、火置さんが立ち上がって僕に微笑んでいた。……微笑んでくれるのは嬉しいけれど、違和感があった。
だって、彼女はいつも涼しい顔をしている。僕との会話が盛り上がって、そこで初めて笑ってくれる。いつだってどこだって、ニコニコヘラヘラしているわけじゃない。
「…………どうですか?もう彼女は動きますよ?会話だってできます。お好きなように使ってください」
「………………使うって、何だよ?火置さんはモノなの?」
「でも、あなたは望みました。『火置さん、僕のモノになって』、『火置さんにいっぱい入れたい、出したい』、『火置さんに好きって言って欲しい、愛して欲しい』。そうですよね?だから、それが叶います。ちなみにそういう部分もちゃんと作り込みましたよ。ホンモノと一緒です」
「そうはっきり言わないでくれよ……自分が嫌になるじゃないか……。……これ以上自分を嫌いにさせないでくれよ……」
「別に、何かを望むのはおかしなことじゃないでしょう?人間誰しもそうなのです。あなたは私に気に入られてよかったですね。こうやってご褒美がもらえるんですから。中には、ご褒美なんて一度ももらえずに、運命の神から見放されて死んでいく人間もいるんですよ?」
「………………ハッ……ありがたいことだね……頭が下がるよ……」
「あなたは他の人よりもちょっと多めに、運命の女神に愛されたのです。恵まれています。普通は、欲しいものを願って欲しいものを手に入れられる人生は送れません。よかったですね?」
……耳をふさぎたくなるような、体をもやもやとした何かで覆う呪いのような、優しい声だった。
この前『毒親』という言葉を本の中で見た。あなたの為、あなたの為といって、結局は子供をコントロールしたがる害悪でしかない親……。僕に取り憑いている運命の女神は、それに似ているなと、ふと思った。
すると…………下を向いて考え事をしていた僕の耳元に、魂をくすぐるような声が降ってきたんだ。
「ヤミ?」
火置……さん。
喋った。目の前の彼女が。彼女は心配した顔で僕を見る。
……女神が用意した『コレ』は、本当に彼女だと言えるのか?彼女の意思や精神は、果たしてこの物体に宿っているのか?宿っていないとしたら、それは本当に火置さんなの?僕が欲しいものなの?
「大丈夫?顔色が悪い。ちょっと休む?」
僕の心は惑う。『いつもの火置さんに見える』。はっきりとした落ち着いた声で、僕を心配する彼女。強いのに繊細で、大胆なのに心の機微を愛する、僕の好きな……。
「あっちにベッドがあるよ、行く?」
…………ああ、なるほど。そういうこと?
やっぱり目の前の君は君じゃない。女神が用意したナニかだ。これは僕を心配しているんじゃない。言葉巧みに僕を誘導して、僕の浅ましい望みを叶えようとしている。
『僕のモノにしたい』『君に入りたい、いっぱいいっぱい出したい』……。
でも、違うんだ。そうだけど違うんだ。
君を僕のものにしたいっていうのは本当なんだけど、君とちゃんと愛し合いたいんだよ。それが大前提なんだって。一人で勝手に君を僕のものにしたら、今度こそ僕はおかしくなってしまう気がするんだ。
「……ヤミ……?」
ズキン
火置さんがしゃがんで僕の顔を覗き込む。
刑務所で君と生活していたときの記憶がフラッシュバックする。あのときに自覚してしまった、自分の欲望と君への思い。
この人のこと、めちゃくちゃにしたい。僕が与えるもので、泣いて欲しい、よがって欲しい、叫んで欲しい。殺してもいいから僕のものにしたい。僕が死ぬなら君だって死んで欲しい。君の永遠になりたい。僕の永遠になって欲しい…………。
…………………………あれ?
自分がわからなくなってくる。
火置さんと愛し合いたいっていうのも、どこまでが自分の本心なんだろう。愛し合うっていうのは、結局『彼女の意思まで全部自分のものにしたい』っていうことか?
そうなると『愛し合いたい』じゃなくて『僕のものになって欲しい』が、結局のところ僕にとって唯一無二の真実なのかな?
……あれ?だめだな……ちょっと、考える時間が欲しい……。
「ヤミ?やっぱり顔色がおかしいよ。ちょっと休もう。心配だよ」
やめろ、やめてくれよ。心配したふりして、君は僕の願いを叶えようとしている。僕のモノになって、僕を女神の奴隷にしようとしている。
「やめてく…………れ……」
僕から語尾が消え失せる。彼女がふわりと僕を抱きしめていた。
「ヤミ、もう、大丈夫。ヤミは考えすぎだって。いつだって考えすぎてる。私も考えすぎちゃうから、人のこと言えないけど……でも考えすぎはよくないよ。もう少し感覚に身を任せて?あなたが望むものは、なに?」
「……………………僕は…………」
「それを一緒に探そう?私、手伝うから!ふふふ、私、ヤミとお喋りするのが好きなんだ。気づいてなかった?」
「……気づいてたよ……っていうか昨日、そう言ってたじゃないか……」
「そういえば、言ったね。でも何度でも言いたい。私、あなたとお喋りするのが好き。ずーっとしていたい。だから、この夏休みはとても幸せ。あなたと会えてよかった……。…………ヤミ?……涙……」
僕は、涙を流していた。どうして、こんなにひどいことができるんだろう。
これは火置さんじゃない、火置さんじゃないってわかっているのに、心が苦しい。君に触れていると、僕が僕でなくなっていく。自分勝手になって、君に介入したくなる。君の個なんてなくして、僕と融合して欲しいって思う。
目の前のこれは火置さんじゃないけど、だからこそ僕に無理やり融合させてもいいのかもしれない。
ホンモノは、尊いから。僕みたいな犯罪者が彼女の個を殺して融合させることは、神々の怒りに触れる罪深い行為なんだよ。
僕は、目の前の火置さんの腕を強く掴む。彼女は小さく苦痛を表明したが、僕の拘束を受け入れるように目を潤ませる。
僕は乱暴にキスをしながら、彼女の洋服を脱がす。上のニット、ブラジャーも一緒に。そしてスカートをおろして、パンツも。彼女は息を荒げて切なそうに僕の名前を呼ぶ。……殴ってやりたいほど、ホンモノを感じる。はは……ホンモノの反応なんて、知るよしもないのに……。
僕は吸血鬼さながらに、彼女の首筋に歯を立てて思いっきり噛みつく。皮膚がちぎれる感覚がして、鉄の味が口に広がる。彼女はうめいたけれど、大きな声は上げない。体温で温められた血のぬるさに、僕の皮膚はぞわりと震える。局部の感覚が鋭敏になっていく。
……ホンモノの火置さんだってきっと、痛みに対して大きな声は上げない。唇を噛んで苦痛を耐え忍ぶだろう。ホンモノと一緒の反応をするなよ。堕落した女みたいに、みだらな嬌声を上げてくれ。もしくは、本気で恐怖して叫んでくれ。全くの別物なんだと、目の前のコレは『おもちゃの火置さん』なんだと思わせてくれよ。僕の目からは、また涙が出てくる。
僕は彼女を地面に押さえつけながら、たまに首を締めたりしながら、必死に腰を振った。柔らかい彼女の中に僕の大きくなった性器を突き立てて、たくさん出し入れをした。
僕は確かに昨日『入りたい』『たくさん出したい』って強く思った。思ったけど、実際にそれをしても全然満たされないってことがわかった。自己嫌悪と虚しさと、限りない絶望に苛まれただけだった。
多分彼女を殺して僕が死なない限り、この飢えは収まらない。でも、ずっとこれを続けたい気持ちはあるから、やっぱり一生飢えるしかないんだ。
一刻も早く死にたい。死ねばこの苦しみが終わる。彼女も一緒に死んでくれたら、僕はとても満足するだろう。
僕は意図的に乱暴な動きで彼女に体をぶつける。それなのに彼女は潤んだ瞳で、眉を歪ませて……苦痛に耐えるような、でも確実に甘さを含んだ声で、僕から与えられる律動を受け止め続けた。
そして何度目だかわからない射精のあと、火置さんの右足が付け根からポロリと取れた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと待ってくださいね」
どこからともなくさっきの幸運の女神が現れる。
「あら……脆くなっていたのかしら……おかしいわ」
「はぁ……はぁ……はぁ……どういう、こと……?やっぱり、生きてなんかないんじゃないか……!」
「生きています。女神である私が命を吹き込んだんですもの。確実に、生きています」
「なんだよそれ、それは火置さんだって言えるの?ただの生き人形だろ……!?」
「生き人形だろうと、神が命を吹き込めば『生きている』。それともあなた、『生きる』とはどういうことだか説明できるのですか?あなたは本当に生きているんですか?夏休みの世界で一緒に暮らしている火置ユウは、本当に生きていると言えるのですか?あなたにそれがわかるのですか?」
「もう、やめろ……なにも言うな……おかしくなりそうだ……」
「まあ、ごめんなさい。私はあなたに死なれたら困るのです。だって、あなたの運命の女神なのですから。あなたのことを、それなりに気に入っているのですから。
……とりあえず、あなたにとってこの『火置ユウの生き人形』は、無用の長物だったという……そういうことなのですか?私には本物との違いがいまいちわからないのだけれど……。それならばそれでいいのです。また、あなたの欲しいものを準備しますね。楽しみに待っていてください」
女神は壊れた火置さんを抱えると跡形もなく消え去り、あたりには暗闇だけが…………いや、暗闇と、途方に暮れた僕だけが残された。
※別の「二人の愛し方」を見る(クリックで開閉します)