秋の匂い・前編

「ヤミ!秋の匂いだねえ!」

僕の先を行く火置ひおきさんが、笑いながら振り向く。冷たい風は、幸せの奥にチリリとした妙な切なさを生じさせる。

「寒くて、嬉しい。私、季節の変わりを風で感じるのがすごく好き!」

「…………そうだね」

「私たち、夏を越えたんだね」

「これから、何度越えるのかな」

「どうだろうねぇ?私といるなら100は確実に越えなきゃダメよ!時空の魔道士は長生きなんだから!ヤミも私についてくるなら、ちゃんと長生きしてね」

「…………」

幸せって、こういうことを言うのかな。秋の並木道で、火置さんが僕の近くで笑ってる。これを幸福と言わずして、何を幸福って言うんだ?

「火置さん」

「んー?」

外だけど……近寄って君を抱きしめる。親子連れが一組側を通って、子供に指を指されながらラブラブだーと言われた。

そうだよ、僕達はラブラブだ。君に見られたって気にしてられないほど、ラブラブなんだ。

「ヤミ……ちょ、っと……はずかしいって……」

「なんで?いいじゃないか」

「……いい、けど……」

おずおずと、僕の背中に手を回す火置さん。薄いセーターの毛足のふんわりとした質感が、背中に浸透する。

「…………火置さん、もう帰らない?」

「え、もう?もう少しお散歩したい気もするけど……せっかく秋晴れで気持ちいいし」

「そろそろ……嫌な予感がする。外だと落ち着かないんだ」

半分嘘。もう、早く抱き合いたい。

「そう……?あなたがそう言うなら、わかった。ちょっと体も冷えたしね。外がこんなに寒いとは思わなかった」

「お風呂でもためようか」

「賛成!」

明るく手を上げた彼女と一緒に、のんびり家に帰る。

家に帰ったらすぐ、火置さんはお風呂場に直行した。彼女が湯船を洗ってくれるようだ。戻ってきた彼女は、体冷えちゃった、と言った。

そうだな、体が冷えたなら早くお風呂であったまりたいよな。でも……お風呂以外の方法でも温まれるかも。

「……火置さん」

「何?」

「入りたい」

「ちょ……!……お風呂が先がいいよ。もう少し待ちなさい。外出てたんだから、体も洗いたいし」

「……でも、火置さんの中に入るときって、お風呂に入ったときみたいな感じなんだよ」

「!!……あのね、それはあなただけでしょ?私がお風呂に入りたいの」

「君は違うの?あったかくないの?」

「ヤミのは、あったかいけど……でも、少なくともお風呂とは違う。だいたい今しちゃったら、お風呂上がってすぐはできないじゃない。それは、嫌だよ……お風呂であったまってそのまましたいよ」

「……わかったよ……」

彼女の主張も一理あるから、我慢することにする。確かに、一度出してしまうと次まではそれなりに時間はかかる。

でも……ゆっくり湯船につかればなんとかなりそうな気もするけど。20分もあれば復活できるだろ、多分。20分なんて、君のいつものシャワーの時間より全然短いじゃないか。

電気ポットに湯を沸かし白湯を飲む君をぼーっと見ていたら、お風呂の湧き上がりを知らせるメロディが鳴った。

「ほら、あっという間に溜まった!はいろ!」

「そうだね」

僕達は連れ立ってお風呂に入る。体が冷えたから、一旦ふたりで湯船につかった。熱いお湯に脚を入れる時のゾワゾワに、生きててよかったと思うような幸せを感じる。大袈裟なようだけど、本当にそう感じる。
ちなみにさっき彼女に言った通り、熱いお湯に入る時のこの感じは火置さんの中に入る時に結構似ている。

5分ほどふたりで体を温めてから、火置さんが先に体と頭を洗った。交代して僕が体を洗っていると、火置さんが湯船から出て僕にシャンプーをしてくれた。……と思ったら、髪の毛で遊びだした。

「できた!鬼!」

「鬼にしては角がへなへなだ」

「ヤミくせ毛なんだもん」

「君だってくせ毛じゃないか」

「私は鬼にはならない。なるならユニコーンね」

「……君は処女じゃないからユニコーンにはなれない」

「!ユニコーンは処女が好きなだけで、ユニコーン自体が処女なわけじゃないもん!」

くだらない掛け合いの後、僕はシャワーで泡を流す。その間もずっと、火置さんは湯船に入らずに僕の背後にいた。

背中に視線を感じる。……どうしたの?そう聞こうと思ったら、彼女の肌が背中にピタッとくっついた。彼女の胸が押しあてられているから、僕はちょっとだけそういう・・・・気分になってくる。

でも彼女はそういうことじゃないみたいだった。

「ヤミ、皮膚が薄く見える……やっぱり、細いよ……」

「…………もう細いって言わないって言ったのに。それに君の体よりはちゃんと厚みがあるし、君よりずっと背が高い」

「……でも、心配になっちゃう。守りたく、なっちゃう……」

「…………」

背中に火置さんのおでこが当てられた感触。……きっと背中におでこをくっつけた状態で、目をつぶってるんだろうな。

「ねえ、火置さんやっぱり、一回入りたい。上乗って」

「え、でも」

「動かないから、くっつくだけだ。今がいいんだよ。座って」

「ヤミ……」

「くっついて抱きしめて、ちょっと満足したら、上がって続きしよう。僕のこと思って切なくなってる君の中に入りたい」

「…………」

少しの沈黙のあとで、火置さんが僕の前に来た。お風呂であったまってポカポカした火置さん。髪の毛が濡れてゆるゆるとカールしていて、雫が毛先から朝露みたいに落ちている。水浴びしたばかりの森の妖精みたいで素敵だ。宇宙色の瞳は、蒸気で熱されて湿度を伴っている。

火置さんは僕の上にまたがって座り、僕を中に収めていった。

「ん、ん……」

「はあ、あったかい……」

「あ、ん………………はいった」

はあ、安心する。君がこの距離にいるときが一番安心する。たとえ君が目の前で歩いていても、僕は完全な安心を得ることはない。

事故・事件・何らかのトラブル……。3歳の交通事故をきっかけに始まった僕の『悲劇的な人生』は、僕から人間関係をきれいさっぱり奪い去るのが大の得意だ。誰かと一緒にいるということが、僕にとってはとても怖いことなんだ。

(続く)


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※ヤミの悲劇的な人生はこちら

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