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第一章 夕闇の出会い
第二章 神様
第三章 探索
第四章 夢
第五章 闇
最終章 二人の夏休みへ
図書室にて
私が感じたそこの第一印象は『公民館の中に併設されている図書館』。
枯れた草みたいな色をしたリノリウムの床に、長辺二人掛けの机が規則正しく配置されている。そして蔵書エリアには、シンプルな作りをしたスチール製の書架がいくつも並んでいた。
「火置さん、あそこに座ろう」
ヤミは部屋の角にぽつんと置かれている机を指さした。私はヤミについていき、彼の向かいの席に座る。
「……君に言っておきたいことがあって」
ヤミは少し声を落として私に話しかけた。……どことなく、周囲を気にしているようにも見える。
「……どうしたの?」
「まずは、本を読もう。君も好きなものを取ってきて」
「……うん」
……本でも読みながらこっそり会話するのかな。……監視の警戒?とりあえず、本を取ってこよう。
私達はそれぞれ本を探しに行く。思った以上に渋い蔵書がそろっていて、私は心が踊った。
哲学関係の本も多かったから、当分はここで時間を潰せそうだ。
結局私はデカルトの『方法序説』を選んだ。
机に戻ってページをめくっていると、ヤミが戻ってきた。……彼は何を選んだんだろう。本の趣味が気になる。
「何選んだの……?あ、『アエネーイス』!私も好きよ!」
「そう?久しぶりに読みたくなって。君は……デカルト?……哲学が好きなんだ」
「哲学者なら、デカルトが好きなの。あと、ニーチェと荘子」
「デカルトって……『我思う、ゆえに我あり』だよね?」
「そう!その言葉に惚れてデカルトが好きになったの。『方法序説』も、何度も読んだ」
「……ニーチェは……ニヒリズムだったよね?『神は死んだ』の人」
「あってる。でもニーチェのニヒリズムは『いい意味』なのよ?この世は虚無なのだから、結局すべては自分次第。シンプルに言うとそういうこと」
「……個人主義な性格がにじみ出てるな」
「選ぶ本で人間性がバレちゃうね。…………で、話って……?」
やや声のボリュームを落とし、ヤミを見る。何かこの空間について気づいたことがあるなら、教えてくれるとありがたい。
「……その前に、火置さんってペン持ってたよね?使える紙はある?」
「うん、あるよ。……ペンとか、没収されないのかね。囚人が隠し持ってたら危なそうだけど……」
「そうだね。僕に奪われないように気を付けて」
「…………気を付けるわ」
私は腰につけたバックに手をつっこみ、ペンと紙を取り出しヤミに渡した。彼は柔らかい動作で、私のペンを受け取る。
彼の動作は私よりずっと丁寧で繊細だと思う。話し方もおっとりしていて言葉遣いがきれいだし、いいご家庭で育ったんだろうなあと、頭の片隅で想像する。
ヤミは私から受け取った紙を机に広げると、さらさらと刑務所の見取り図を描いていった。

「お、見やすい」
「迷うような構造ではなかったけど、念の為。君にとっても必要な情報なんだろ?」
「うん、ありがとう。助かる」
するとヤミは、ペンで紙の一部分をコツコツと叩いた。なんの意味もなく見える自然な動作だったけど、よく見るとそこには小さい文字でこう書かれていた
僕らの独房は監視・盗聴されている
……なるほど、伝えたいことってこれだったのか。
でも、実は私も監視カメラがないかは探していた。けど……少なくともヤミの部屋には見当たらなかったの。だから私は、監視カメラとは別の可能性を考えていたんだけど。
私は本で口元を隠し、声を落としてヤミに話しかける。
「それって……看守がこっそり部屋の様子を見て、報告していたって線はないの?寝ている時に巡回して、小窓から覗いていたかも。それでカミサマに報告したのかも。監視カメラで何から何まで見られているかどうかはわからなくない?」
「でもこの間の面談の会話の内容からすると、カミサマは君がやってきた時刻までほぼ正確に把握していたんだ。君が時空の穴から落ちてきたということも、どうやら知っている風だった。つまり、一部始終を見ていたと考えるのが自然だと思う」
……カミサマ。彼って、人間なのかしら?
おそらく、人間ではない何か……な気がしている。私の予想では、歪みから生まれた邪悪の類。つまり、この世界に生きるすべての生き物の敵。
「やっぱり私は、カミサマに会わなくてはいけない」
「……無理やり会うのはおすすめしないけどな……こんな狂った刑務所を作っちゃうようなヤツだよ?勝手なことしたら、どうなるかわからない」
「でも、多分私が会わなくてはいけないタイプの相手だと思う。時空の歪みについても、彼は知っていると思う」
「危険だとわかっていて、行くんだね……」
「私は強いから。最強の魔法使いなの。……いまだにここでは魔法が使えないけど」
少々の自虐と自信、両方を含ませる。……というか、一体全体私はいつになったら魔法が使えるようになるんだろう。
「僕には君を止めることはできないけど……」
ヤミは視線を落として呟いた。そりゃ、元気もなくなるよね。だって彼には何一つ関係のない話だし、『大人しく残りの時間を過ごしたい』みたいなことをしきりに言っていたから。私に変な動きをされるのは、彼の望むところではないだろう。
でもね、今なんとかしなくては歪みの影響が世界中に広まってしまうから、やるしかないの。あなたには申し訳ないけど……そんな気持ちを込めて彼を見る。
するとヤミは、私が予想もしていなかった言葉を口にした。
「……でも、協力はできる」
え、なんて?
「僕にできることがあったら、何でも言って」
「あのね、わかってる?私はこれから刑務所のルールを全やぶりする勢いで、ここの秘密を解き明かそうとしている。なんならカミサマに無理やりご対面して、歪みのことを聞き出そうとすらしている」
彼は私の目を見て、ゆっくりと頷く。彼は、静かな決意を固めた人の顔をしていた。……どうしよう、そんな決意をされても困ってしまう。
「それに多分……独房だけじゃなく、カミサマはこの刑務所内のことは全部把握できているんじゃないかしら。だから、コソコソ話も怪しい行動も全部筒抜けでしょうね。筒抜けなら隠しても関係ないということで、私はこれから堂々とここを調査することにするよ?
もしかしたらそのうち、カミサマと対決!なんてことにもなるかも。私に協力なんてしたら、あなたには危険や不利益しかないと思う。とにかく、いいことが一つもない」
……どう?気が変わって、協力を諦める気になったかな?
……………………いや、諦めてない顔してる……。ちょっと、いい加減にしてよ……。変に巻き込みたくないんだって気持ちをわかってほしい。
「もし私がカミサマを倒せたら、死にたいあなたにとっては悲劇的なことに『死刑が延期』されるかも。
もしくは私がカミサマに負けたら、あなたも連帯責任で死ぬことになるかも。本来の死刑執行よりもずっと早く。……端的に言うと、協力は諦めて欲しい。巻き込みたくないから」
「でもそれって、どっちにしろ死ねるってことだろ。じゃあ、協力しない理由がないよ。僕は『死刑』になりたいというより『死にたい』んだ。理由や方法は何でもいいんだよ」
何の迷いもなく、間髪入れず、ヤミが答える。
「はぁ…………どこまいっても『打てど響かず』、ね……」
私は大きなため息とともに、『降参』の思いで肩を竦めた。
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