夏休みの夕闇~刑務所編~ 第三十六話 放棄された刑務所

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第一章 夕闇の出会い
第二章 神様
第三章 探索
第四章 夢
第五章 闇
第六章 真実
最終章 二人の夏休みへ

放棄された刑務所

朽ちた廊下、そこら中に散らばる鉄さび、チカチカと不規則に点滅する天井の明かり。鉄格子の小部屋が連続していて、重くどんよりと湿った牢獄特有の空気。

視線の先はどちらかというと『私がよく知っているタイプの、古い刑務所』のように見えた。

そう、色々な世界を冒険していると……刑務所にお世話になることも、ままあるのだ。魔法使いをよく思わない為政者が相手だと私自身が捕まることもあるし、刑務所の囚人に用事があって自ら訪れることもあった。

「いかにも、って感じね……あなたが捕まってる場所よりこっちの方が断然刑務所っぽいと思うわ。……ちょっと朽ち果て過ぎてはいるけど」

「……今の刑務所が使われる前はこっちを使っていたとかかな……?」

廊下を歩く。自分のヒールの音が、不自然に反響する。この場所の構造のせいもあるだろうが、時空がゆがんでいるからという理由も考えられる。

そして、私は数歩進んだ段階で勘づく。…………このエリアには、人の気配がする。

「誰かが……いるね」

「……本当?……僕にはよく、わからないけど……」

「息遣いが聞こえる。人の気配もするよ」

ヤミは立ち止まって周囲に耳をすませていた。「そんな気もするかもってくらいで……なんとも言えない」と彼は言った。そうかもしれない。こういうのは、似たような状況をくぐり抜けてきたからこそ分かる第六感みたいなものだから。

「一応聞いておこう。危険があったときにはどうする?」

「……基本は、来た道を戻って逃げる。スタート地点まで追い詰められたらピンチだけど、そこまでの道中は長いからその間に振り切れる可能性は十分にある。無理やり先に進んでしまうと、すぐに行き止まりってこともあって危ない」

「……案外ちゃんと考えてるんだ」

ヤミが感心した様子で私を見る。

ヤミって……私のこと猪突猛進なタイプだと思ってない?自分では7割頭脳派3割感覚派くらいだと思ってるんだけどな……まあいいけど……。

「見くびってもらっちゃ困るよ?で、メインの武器は近距離がナイフ、長距離や威嚇には投げナイフと魔法針を使う。投げナイフは案外上級者向けだから……あなたにはこれを渡しておく」

私はヤミに、投擲用の羽がついた針を三本手渡した。

「……これは、どうやって使えばいいの?」

「ダーツの経験は?」

「……ダーツバーで一度だけ」

「十分よ。その時を思い出して、相手の身体全体を大きなブルだと思って投げればいいの。額や心臓をわざわざ狙う必要はない。その針はどこに刺さっても一定の効果があるから。『目眩』の魔法が込められているの」

「練習はさせてくれないんだね……君は実践で鍛えるタイプなんだ。厳しいな」

「そうね、師匠譲りで厳しいの」

私は左側を、ヤミは右側を主に確認しながら、慎重に歩を進める。廊下沿いには、広さ3畳くらいの独居房が等間隔で配置されているが、今のところその中身は全て空のようだ。

フロアに充満するむせそうなカビの臭いが鼻を突く。この場所はどれくらい放置されているんだろう。汚れ具合から見て、『年』単位で管理の手が入っていないんじゃないだろうか。

もしここに囚われた人がいるとしたら、どのくらいの時をこの中で過ごしているのかな。時空の歪《ひず》みから生じた穴を抜けて来たのだから、ここの時は正常に進行していないはずだ。

本来の寿命を超えた年月を、太陽の明かりが全く届かない、不潔な閉鎖空間で過ごさなくてはいけないと考えると、他人事ながら気が重くなる。自死を選んだ方がまだ楽かもしれない。

……ヤミや、ピアニスト囚人がしきりに言う「死にたい」という言葉が、脳内で再生される。

しばらく進むと、私達はあまりにも異様な光景を目にすることになった。

10人くらいが収容できそうな大きめの部屋にぶち当たったのだ。その中には、男女年齢ごちゃまぜに、50人近くがすし詰めになっていた。……部屋のキャパシティを明らかにオーバーしている。

ある者は目を見開いたまま動かない。ある者は、歯の何本か抜けた口からよだれを垂らしながら、あーあーと声を出している。

そしてあるものは、ずっと壁に向かって猫の爪とぎのような動きをしている。

でも、本来なら聞こえるはずのカリカリという爪の音は聞こえない。だってよく見たら……爪はすべて剥がれ落ちていたから。彼だか彼女だかわからないその人は、10本の指先全部から血を流しながら壁に向かって爪なき爪をたてていた。このままいったら、大根おろしのように徐々に指先から削れていって、やがて体がなくなってしまう気がする。

私は何も言えずに目の前の光景に釘付けになっていた。ヤミは意外にも冷静に……私に声をかける。

「行き止まりみたいだよ……他にはどこへもいけない。やっぱりここは、カミサマへの道ではなかったようだね」

「彼らは、何をしてここに捕まっているんだろう……」

私はその部屋に近づく。囚人の一人と目が合う。虚ろな虹彩が私を映したその瞬間、その囚人は脳を細い針で刺すような高い周波数の金切り声を上げた。

誰かに何かを伝えている?人間の声とは思えない、動物的な信号を思わせる声。

「っ、なん、なの……?」

耳が痛くなる長い長い金切り声がやっと止んだ。すると……背後からかすかに、嫌な音が聞こえてきた。地面を何か、堅いものが擦る音。

ギリギリ……ギリギリ……。

その音はだんだん私達の方に近づいてくる。

私達は、無言で後ろを振り返る。天井の電灯が、今にも消えそうにチカチカと点滅してる。目線の先の深い暗闇の奥から、見たことのない看守がやってきた。

いつもの看守とは違う人。彼より二回りくらい大きく見える。いつもの看守だって、かなり大柄なのに。

その右手には、初めて見る形状の警棒が握られている。普通の警棒は……地面を引きずるほど巨大じゃないはず。先端には粗く削られた金具が装着されていて、たくさんの汚れがこびりついていた。それが何の汚れなのかは、あまり考えたくない。

彼はズルリ、ズルリと、警棒を引きずりながらこちらに近づいてくる。その風貌と表情を見れば、『話しかけても無駄だ』ということがわかる。その瞳は、私達を飛び越えてどこか遠くを見ているようだ。ふと私の頭に浮かんだのは『ゾンビ化したトロール』のイメージだった。

「ヤミ……逃げよう」

「賛成」

ヤミが言った『さんせい』の『い』のところで、私は看守の足元に赤と青の魔法針を同時に投げた。『赤の要素』と『青の要素』の混成魔法は『爆発』。地面に突き刺さった針は、ボンッと音を立てて小さな爆発を起こす。周囲に爆煙が立ちのぼり、看守がガクッと膝を折るのが見えた。

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